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日本での英会話の歴史

日本語でいう英語の「英」の文字は、元々English という単語のポルトガル語訳である ingles の漢訳「英吉利」の略です。これは、イギリスのイングランド地方をさす言葉と考えられています。「英吉利」については他に Inglaterra の漢訳とする説があります。「英語」という単語は「イングランド語」の略ですが、日本語や朝鮮語でこの言語を表現するときは、フランス語やドイツ語など他のヨーロッパ発祥の言語とは違い、「英語」と呼ばれています。 

 

日本に英語が入ってきたとされるのは江戸時代のことで、江戸末期にアメリカからの使節と交渉する必要が生じ、日本での英語の歴史が始まりました。ジョン万次郎が書き残している、日本最初の英会話教本には、英文の意味を取りやすいように漢文のような返り点が打たれています。

 

嘉永元年(1848)5月7日に、日本海に浮かぶ焼尻島にアメリカ人青年が上陸しました。彼の名前は、ラナルド・マクドナルド(Ranald,MacDonald)というアメリカ人で、母方がアメリカン・インディアンの部族の1つであるチヌーク族の王の血筋を引く人物だとされています。マクドナルドはインディアンのルーツは日本人だと信じていて、日本に対する憧れの気持ちを持っていたといわれています。また、マクドナルドが生まれ育った太平洋沿岸部地域には、日本人の漂流民たちが多く打ち上げられていた歴史的事実があり、その事も彼の「日本人ルーツ説」をより確かめようと思うきっかけの一つになっていました。マクドナルドは、鎖国状態であった日本へ何とか行きたいという強い衝動を持っており、遂にその想いを遂げるため、銀行員を辞めて、捕鯨船の乗組員となって航海の旅にでて、その航海途中、日本近海に近付いた際に、船長から譲られた下船用ボートに乗り移って、漂流という形で遭難を装い、蝦夷地の利尻島に単身上陸しました。彼こそが日本で最初の英語教師になった人物なのです。

 

マクドナルドは最初、北海道にある焼尻島に上陸し、7月1日には利尻島に上陸したのですが役人に捕まってしまいに20日程拘留されます。この後、8月に入るとマクドナルドは密入国者として20日間拘留された後、松前へ護送されさらに3週間以上監禁所に拘留されます。そこから長崎に連行され、長崎奉行所で訊問を受け、密入国者として崇福寺大悲庵の三畳程の座敷牢に幽閉されてしまうのです。しかし、そんな囚われの身でありながら、マクドナルドの誠実な人柄と高い教養が奉行所の役人や周囲の人間に親近感をもたらし、長崎奉行の肝入りで西山郷に開いた英語教室の教師になってしまうのです。

 

現在、日本において英語は話せなくても、日常生活まったく支障はありません。あくまでも科学技術や諸制度の吸収のための手段や通商の道具という位置付けになっています。また、高校・大学受験、各種学校の必修・選択単位取得では、英語を読解する能力が重視されており、英文和訳を中心とした授業が行われていることが多い。アメリカ英語を正統、イギリス英語をオプションとして取り扱うケースが一般的ですが、これは世界の英語学習のなかでは特異な例に属します。また、せっかくの読解能力も日本語での出版活動が盛んであること、多くの英語の書籍が日本語へ翻訳されることから日本での日常生活ではあまり役立たないと言っても良いかもしれません。しかし、英語を「話す」、「聞く」能力を特殊技能とする日本の傾向があり、これは、日本ではイギリスの植民地であった国々とは違って、大学の講義が英語ではなく母語(日本語)で受けることができること英語を母語とする外国人が 1% も国内に居住していないなどの要素によって、日本国内では英語を話す、聞く必要性があまり無かったという歴史からです。

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2017/11/10 更新